これはみな、さとき者の明らかにするところ、 知識を得る者の正しとするところである。
あざける者は知恵を求めても得られない、 さとき者は知識を得ることがたやすい。
あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。
神のみこころを行おうと思う者であれば、だれでも、わたしの語っているこの教が神からのものか、それとも、わたし自身から出たものか、わかるであろう。
預言者の書に、『彼らはみな神に教えられるであろう』と書いてある。父から聞いて学んだ者は、みなわたしに来るのである。
知恵ある人の道は上って命に至る、 こうしてその人は下にある陰府を離れる。
ヤコブの家よ、そんなことは言えるのだろうか。 主は気短な方であろうか。 これらは主のみわざなのであろうか。 わが言葉は正しく歩む者に、 益とならないのであろうか。
そこに大路があり、 その道は聖なる道ととなえられる。 汚れた者はこれを通り過ぎることはできない、 愚かなる者はそこに迷い入ることはない。
さとき者の心は知識を得、 知恵ある者の耳は知識を求める。
さとき者はその顔を知恵にむける、 しかし、愚かな者は目を地の果にそそぐ。
さとき者の心は知識をたずね、 愚かな者の口は愚かさを食物とする。
知恵を求めて得る人、 悟りを得る人はさいわいである。